■人情のある町「浅草」
昭和35年中学にあがる時、京都より母と二人で上京、叔父のいる浅草に住いを設けました。全国歌謡コンクールで優勝の後、昭和38年日活映画「青い山脈」の主題歌でデビュー、翌昭和39年レコード大賞を受賞しました。それから生活が一変しまして、グラビア関係や取材の方がたくさん訪ねて来られるようになりました。お部屋が狭いものですから写真撮影の方には外で写真をとっていただくということで、ご迷惑をおかけしていました。それで引越しを考えたのですが、浅草はとても人情味のある町でしたから皆さんとの絆を思うと、とても浅草から離れるなんて考えられませんでした。
■初めての賃貸マンション
その当時浅草に銀線ビルというのが建ちまして、その銀線ビルがはじめてお借りしたマンションになります。そのマンションには18歳から35歳までいました。入居当時のお家賃は39,800円ぐらいだったと思いますが、今のお金にするとかなり高額なお家賃ではなかったかと思います。家賃も次第に値上がりして、車庫なども含めると10万円以上になっていました。時代も変わってきて、お家賃のことも考えると購入した方が良いなと思うようになっていました。実家の京都も大好きなところなのでいつか京都に帰りたいと思っていました。そんなわけで、買うのであれば便利が良くてすぐに売れるところと考えていました。
■六本木にマンション購入
そんな時にお友達から六本木にマンションを建てられるという方をご紹介していただきまして、その方からマンションを購入いたしました。友人のご紹介という事や建築前の申込みということもあって事前にいろいろ私の希望を聞いてくださったお陰で大変気に入ったお部屋になりました。クローゼット等の収納をたくさんとっていただいたことがとても気に入っています。その部屋も今までに4回リフォームしていますが、いつも良い提案をしていただけるお友達の業者の方がいてくださることを感謝しています。六本木も六本木ヒルズをはじめたくさんの高層タワーマンションができ景観も変わってきました。景観の良い心の広がりがもてるような物件があれば考えても良いかなと思っています。
今年でデビュー43年、今までたくさんの皆様に支えられ、応援していただき今日あることをとても感謝しています。さらに新しいものを目指し躍進してまいります。
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